誕生日が来る。

27にもなるのに、もうずっと小学生のときから書いてるみたいな文章を永久に書いていて、

それが仕事になったりするなんて思わなかった。

これは嘘、なんとなく確信はあったけど、ほんとに?って感じてる。

 

ちゃんと開業届出して帳簿つけてお役所に出してんのよ。正気。

おまえらみたいに子供を育て上げて一人前とか、

おまえらみたいになんとなく賢そうに見えるから黙ってやり過ごすのが大人とか、

毎日辛くて終身雇用されてなきゃダメとか、

そういうのは、わたしの知ってる正気とか、普通のひとつであって全てではない。

 

「絵や文章で直接的に人は死なない」ってことにわたしはどれぐらい助けられてるんだろう。

間接的にめちゃくちゃ人を殺す可能性はあるんだけど、気楽だよ。銃とか持ってないし。いまもう仕事で睡眠時間が恐ろしいことになってるけど。

クリエイターお大尽たちよくいうけどさ、必死とかないよね。命かけてるとか。

崖とか行ったり、命狙ってる人もいないならべつに大丈夫だと思う。そんなに死なない。

 

ジョイサウンドの字幕でわたしの言葉が上滑りしていく、誰が肉付けしてくれるんだろう。

愛しく懐かしい青い春。あなたたちそんなに青くもないよね、わたしはあなたの血肉に流れ込みたいんだよ、力として。興味があるのは赤、青い星で青く染まって青に溶けてどうするの?ってずっと思ってる。わたしは青色だったことなんて一度もないし、透明だったこともない。

誰かの腕の中に嵌まり込んでいたかったこともなくて、その腕ごと全部奪い去ってしまいたかった。

清潔なフリしたアメーバが、目から耳からまとわりついてどんどん心を殺していく。よくわかる抽象であなたがいなくなる。透明。青に溶ける。

 

どうせわたしはまじょっこというババアになっていくから最強になるしかない。

最強で有用じゃない異物は排除される。みんな透明になりたいのは、そうだからだよねきっと。

誠実な絵を描く先生から、

「写真から描くことは基本的にクソにしかならない」「他人の写真で描くのはNG

という教えを特段補足なく頂戴した高校時代。

ずっと疑問を持っていたんだけど、写真じゃダメな意味についてこういう補足が欲しかったな、というメモ

 

・情感とか願望とか、エゴを付与できないなら絵なんかじゃなく、そこにすでにある写真でいい

・他人の写真で描くのは権利関係の問題以外に「自分が」「いちばんいい」と思った構図とかじゃなくなりやすい

・意味情感偏見のない絵は弱くなりやすい

・わたしはこう見ました、の話をしないなら筆を取る意味とかゼロでは

 

このへんクリアできるならば別に写真をもとにしてもよい という結論がわたしは欲しかったんだなと思った。

「パンク侍、切られて候」近年稀に見るクソ映画でした。

同行した友人は

「殺人タイヤが念力で人を殺す映画が人生ワーストだったが、それを超えた予算やキャストの無駄遣い」

「本当につまらないものを見るとまばたきの数が減り、目が乾く」

「今度はちゃんと面白い映画を観に行きましょう」

などと評していた。

 

ひとつひとつのシーンを思い返してみると印象的なものはいくつもある。

突然の尻、清潔というより「無」の背景に転がる浅野忠信の脇毛アップ、膨れ上がる薄汚い腹、浮遊する男たち、殺気立った猿。

全体的にめちゃくちゃ絵面が汚い。

汚い絵面と、えもいわれぬ不愉快さを我々の脳裏に焼き付けるためだけに制作された映画なのだとしたら、その試みは成功なんだと思う。

回収されない伏線、グズグズの台詞回し、意味不明なセリフ。

これ、でも、謎JK映画とかの綺麗ぶった映画では別に、よく見るよな…。絵面が綺麗だから持つだけで…。

エンドロールの謎も最後まで解けなかった。これ本当にどういう意図で制作されたんだろう。

 

クドカンさんはこんな脚本を作るような人間だったのか。

逆に、もう次回作が気になって仕方ないです。

 

日本映画ってこんなキャストや製作陣の使い方、予算や広告費の無駄遣いをしてクソ映画を作る余裕がまだあったんですね。それは嬉しかった。

こんなのを見て「意味がわかる」「傑作」って評するような人にわたしはなりたくない。見てよかったけど、クソだろ。

濃縮された情報から、かえって秘密が香るように思うのはきっとけちが嫌いだってことに原因がある

定期的に外に出たり、人と喋ることだけに集中して喋ることをしないとだめだなと思った。精神が腐敗する。幸いにして、気楽に会ってくれる友人のいる人生でよかった。