生きてるだけで、愛。 

生きてるだけで、愛。 

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原作:本谷有希子

監督・脚本:関根光才

主演:趣里 菅田将暉

119日(金)公開

 

「腑抜けども悲しみの愛を見せろ」の本谷有希子さんが原作。この方、別の作品で芥川賞もとられている。「生きてるだけで、愛。」に関しては23歳とかのときの作品だそうで、年齢は力や作品にさほど関係ないとわかってはいるものの、その年齢で他者をここまで「見る」ことができるなんて恐ろしいわと感じる。わたしは映画化されたこの2作しか見たことがないけれども、この原作者さん、あらゆる「性格のヤバイ女」を描かせたら右に出るものはいないのではないだろうか。病的な感情についてあんまり美化せずにまんまそれとして描くところも好き。この主人公は「躁鬱の女」ではなく「性格のヤバイ躁鬱の女」だと私は見た。

 

性格のヤバイ女というものはどこにでもいるし、性格がヤバイなりに傷つくし喜ぶし落ち込んだり浮かれたり見栄をはったり嘘をついたりする。性格のヤバイ女というものは、あなたの生きる世界や普段接する人間と乖離した存在ではなく、どこにでもいる。こういう類の性格のヤバイ女が社会的な関係の元で「肯定された」と感じることはあまりないようで、その理由は「適応しようと気を張っているから」。「わたしが作ったぶあついペルソナに満足して何もわからないまま、おまえばっか分かられた気でいてバカじゃないの」ぐらいに思ってる人が多かった気がするな。おまえだけが汚れていておまえだけが賢いと勘違いするなよ。ごく私的な関係において、都合が悪くても許してもらえるのか、傷つけて、許してもらって、不安に陥るスパイラルでもがきながら生きてる人が多いって偏見がある。無職の主人公が主人公の思う「正しくない」仕事をしている彼氏をいきなり罵倒するのとかリアルだったな。もうできることなら死んでしまいたいんだろうと思った。わたしは、「性格がヤバイぐらいで生きることに悩んだりしてやらない、みんな大なり小なりヤバイんだから」ぐらい雑に生きてるから、作中で彼女の言う「見つけられてしまう」という感覚については全く理解ができなかった。主人公はきっと世界に対する信頼が素直な形で厚いんだと思う。救われて欲しい。

 

かくいう私もまた別のヤバイ女、私はきっとヤバイから、ヤバイ人が私を傷つけることを絶対に許さない。けれど、正論で救えない心を救ったり、不条理を美しく描くことがフィクションの役割のひとつだと考えているので、すごくいい作品だと感じました。これはわたしの意訳だけど、「あなたがそのまま生き続けた瞬間に立ち会いたいと思った」っていう旨の発言を主人公の彼(菅田将暉さん)はしていて、その目線は主人公にとって圧倒的な救いなんだろうな。最後の最後に彼が主人公にぼそっと告げた台詞が、救いなのかギロチンなのかわからないところも胸に来る。根本的にこの映画に出てくる人全員苦手で、主人公にまとわりつく仲里依紗さんの演じるうるさい女も嫌いだし、主人公がバイトする喫茶店の人たちも無理。菅田さんの演じている主人公の恋人もいいかげんにしろ、お前はお前で美しくなれ、どうにもならないバンドマンの彼女かよと思うし、誰にも感情移入できない。感情移入できないのに揺さぶられるシーンや、わからないまま感情がなだれ込んでくるような作品に出会うたびに、私は救われます。 創作が救うべき層ってだって、これにものすごく共感する層そのものでしょう。きっと。

 

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映画『生きてるだけで、愛。』特報

 

とにかく一貫して映像が美しい。世武裕子さんの音楽ももちろん素晴らしくて、この監督さんこれからめちゃめちゃに売れるんだろうな。女優の趣里さんも素晴らしかった。無言の演技や、無表情っていうくくりの中での表情の引き出しが多すぎる。彼女、とても醜いときと凄絶に美しいときの振り幅が激しいのですが、その出力調整が巧み。狙ってやらなきゃあれほどの切り替えはできないと思うどこまでも話運びやシーンに対して誠実な演技なんだけれど、そのすべてが150点より上を獲りに来ている感じ。鳥肌がたった。身体の使い方がド超級。どういう訓練をなさった方なんだろうと調べてみたら、バレエダンサー志望だったという記事を見つけて少しだけ納得した。カメラワークとか、照明とか、編集も上手いんだろうな。前半は特に、関わっている人間がひとりでも悪手を打ったなら、5秒と見てられなくなるようなシーンのオンパレードだったのですが、目が離せない。絶対に1秒も目を離させてなるものか、という気迫が張り詰めていた。物語の総括とその努力は全く矛盾しないし、いちいち感嘆せずにはいられませんでした。正直その日1時間しか眠れていなかったので、つまらなかったら寝ていた可能性はものすごくあった。

 

最初のほう、回想から主人公の日常に入っていくシーンがある。

まず主人公の被っている赤い毛布が色面として大写しになって、カメラがそれを右から左へ舐めて、主人公の顔の部分までを写すカット。なんだかそのときの赤い毛布は、一面の花畑のようで異界的だった。異界の真っ赤な花畑から、泥のような日常に潜って眠る人間が写るのは、すごく印象的でよかったです。

わかりやすいところで美しかったシーンは、特報でも見られるように青いスカートがゆれるさまとか。

ラストも、上手くない人が撮ったら絶対観れたようなもんじゃない、私だったらこのシーンどう表現するんだろ、無理かな!と思ったんですが、目の当たりにした側が「こう美しく見えた」っていうのがバチバチに伝わって来て最高でした。

 

 

映画の試写に行ったのは人生で2度目。やたらめったら映画を観る方ではあるので、誘っていただけるってすごく嬉しい。感想を書いてもいいよっていう前提を付与された上で映画が観れるのも楽しい。わたしが何よりありがたかったのは、試写に招待してくださった方がどう書いても、書かなくてもいいと仰ってくださったことです。基本的に全てがそうあるべきだとは思うし(私の言葉は私のもの、誰がそれを見てめちゃくちゃな気持ちになったとしても、救われたとしても、それは私かその人のせいだから)、何か作品について筆を取るのであれば、批評するにせよ悪口を言うにせよ、そこに興味やお金が落ちるように書かなければならないって考えてはいる。